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奈良地方裁判所 昭和45年(行ウ)1号 判決 1972年11月17日

奈良市三条池町六の六

原告

天野兼松

右訴訟代理人弁護士

高椋正次

大阪市東区大手前之町

被告

大阪国税局長

吉瀬維哉

奈良市登大路町八一番地

被告

奈良税務署長

津村男

右被告ら指定代理人

二井矢敏明

右同

金原義憲

右同

樋口正

右同

村上睦郎

右同

中西一郎

右同

山中鎮男

右同

西谷仁孝

右当事者間の昭和四五年(行ウ)第四一号所得税審査決定処分取消請求および所得税等賦課決定取消請求併合事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

(請求の趣旨)

「一、被告大阪国税局長が原告に対し昭和四四年一二月二日付でなした審査請求を棄却する旨の裁決はこれを取消す。

二、被告奈良税務署長が原告に対し昭和四三年一二月一六日付でなした昭和三八年度分所得税および加算税の決定はこれを取消す。

三、訴訟費用は被告らの負担とする。」

との判決

(請求の趣旨に対する被告らの答弁)

主文同旨の判決

第二、 当事者双方の主張

(請求の原因)

一、原告は昭和三八年一〇月二二日別紙物件目録記載の各養魚溜池(以下本件溜池という。)を廃止して訴外奈良市に対し奈良市宅地造成のため譲渡し補償金(以下本件補償金という。)として二八、〇〇〇、〇〇〇円を受領した。

二、 ところが、被告奈良税務署長は昭和四三年一二月一六日、原告の昭和三八年度分の所得に本件補償金を含めて、所得税金五、九六〇、八〇〇円、加算税金五九六、〇〇〇円なる課税決定をなした。

三、 原告は昭和四四年一月八日、被告奈良税務署長の右決定処分の取消を求めて被告大阪国税局長に対し審査請求をなしたが、昭和四四年一二月二日、右審査請求棄却の裁決がなされたことを知つた。

四、しかし、原告の取得した本件補償金は養魚を廃止するについての将来の生活補償金として取得したものであるから非課税所得である。

五、 よつて原告は被告大阪国税局長のなした前記審査請求棄却の裁決の取消ならびに被告奈良税務署長のなした前記所得税および加算税の決定の取消を求めるため本訴におよんだ次第である。

(請求の原因に対する被告らの認否)

請求原因第一項、第二項、第三項は認め、第四項、第五項についてはいずれもこれを争う。

(被告大阪国税局長の主張)

原告は被告大阪国税局長のなした裁決の取消を求めているが、行政事件訴訟法一〇条二項によれば、処分の取消の訴とその処分についての審査請求を棄却した裁決の取消の訴とを提起することができる場合には、裁決の取消の訴においては処分の違法を理由として取消を求めることができない旨規定されている。しかるに原告は裁決固有の瑕疵を理由とせず原処分の違法のみを理由とするものであるから、原告の主張自体すでに失当であり、棄却されるべきである。

(被告奈良税務署長の主張)

一、原告は肩書住居地で本件溜池を利用して養魚業を営んでいた者であるが、被告は原告の昭和三八年度分の所得金額につき、譲渡所得金額一三、六〇三、八三〇円、事業所得金額四〇二、五〇〇円、総所得金額一四、〇〇六、三三〇円と算定した。

二、右所得金額の算定根拠は次のとおりである。

(一) 譲渡所得について

(イ) 原告は本件溜池の所有者から右溜池を賃借して(貸主が借主のために養魚を目的として溜池の用水を利用する権利を設定し、借主がそれに対して一定の賃料を支払う契約。以下単に賃借権という。)養魚業を営んでいたところ。奈良市は都市計画の一環として本件溜池を埋立て宅地造成をする計画をたて、原告を含む所有者賃借人等関係者と補償金の折衝を行い、その結果原告との間で昭和三八年一〇月二二日本件溜池での養魚業を廃止し右溜池を明渡す補償金についての合意が成立し、原告は同年一〇月二五日一五、〇〇〇、〇〇〇円、同三九年六月一五日一三、〇〇〇、〇〇〇円、合計二八、〇〇〇、〇〇〇円を受領した。

(ロ) ところで、譲渡所得は資産の譲渡による所得であるが、旧所得税法施行規則第七条の一一第三項(現行所得税法施行令九五条)によれば、資産の消滅したことに伴いその消滅につき一時に受ける補償金その他これに類するものは譲渡所得の収入金額とする旨規定されている。これを本件についてみるに、奈良市は原告が本件溜池の賃借人(正確には前記(イ)の内容の権利を有していたのである。)であることを認め、その権利を消滅させるために補償金を支払い、原告も補償金を受領することによつてその権利を放棄し、それに伴つて本件溜池を明渡す意思で二八、〇〇〇、〇〇〇円を受領したものであるから本件補償金はその権利の対価としての性格を有するものである。そこで被告は本件補償金を前記規定に該当する譲渡所得の収入金額であると認定したものである。

(ハ) 本件譲渡資産(前記の権利)の取得価額の計算に当つて、本件譲渡資産を原告が取得した日が昭和二七年一二月三一日以前であることは明白であるので、被告は昭和二七年一二月三一日以前に取得した資産の取得価額の特例(旧所得税法施行規則第一二条の一九第一項)を適用して、昭和二八年一月一日における当該資産の現況に応じた相続税および贈与税の課税標準の計算に基づき国税庁長官が定めて公表した方法(相続税評価基準)により計算し、本件譲渡資産の取得額を六四二、三三九円と認定した。

(ニ) 以上により本件譲渡資産の譲渡にかかる譲渡所得を計算すると、次のとおりである。

<省略>

(二) 事業所得について

原告が昭和三八年度中における養魚から得たる所得は事業所得に該当するのであるから、原告の計算に基いて、前記一のとおりその所得計算をしたものである。

(被告奈良税務署長の主張に対する原告の認否)

被告奈良税務署長の主張第一項は認める。第二項の(一)、(イ)は認める。同項の(一)、(ロ)については賃借権を消滅させる契約でであることは認めるが、当該権利の消滅の対価として本件補償金が支払れたとの点は争う。同項(一)、(ハ)(ニ)の譲渡所得算出の方式、金額については本訴では明らかには争わない。同項の(二)については認める。

(被告奈良税務署長の主張に対する原告の反論)

一、被告は、本件補償金は譲渡所得に該当する旨主張しているが、本件溜池での原告の養魚業が一時的なものでなく、将来に向つて継続して生計を営むための唯一の手段たる職業であつたことを考えれば、養魚の廃止に対する対価ではなく、養魚の廃止により原告の将来の生活に支障を来たすであろうことを考慮してこれを補償するためのものと解すべきであり、現行所得税法九条二一項所定の損害賠償金およびこれに類するものに該当するというべきである。これは契約書において原告の生活を補償するためと明記されていることに照らし、また前記同法九条、一〇条、一一条の非課税所得を制定している精神からしても明らかである。

二、 訴外奈良市は引き続き養魚業を営む目的で資産の存続を前提に本件溜池の賃借権を取得し、その対価として本件補償金を支払つたものではなく、本件溜池を埋立て宅地造成をするために原告に対し賃借権の放棄を求め、資産の消滅を前提に本件補償金を支払つたものである。かかる性格を有する本件補償金は、所謂譲渡による所得とは云えない。

第三、 証拠

(原告)

一、甲第一号証乃至第三号証

二、証人岩野政一、同北邨増治郎、同宮本忠男、原告本人

(被告)

一、甲第一号証乃至第三号証の成立はいずれも認める。

理由

第一、被告大阪国税局長に対する原告の請求の当否について

原告は被告大阪国税局長のなした昭和四四年一二月二日付裁決の取消を求めているが、裁決の取消理由として主張するところはすべて奈良税務署長が昭和四三年一二月一六日付でなした所得税および加算税の課税決定についての違法であつて裁決の固有の違法を主張するものではない。ところで、行政事件訴訟法一〇条二項によれば、処分の取消の訴とその処分についての審査請求を棄却した裁決の取消の訴を提起することのできる場合には、裁決の取消の訴において処分の違法を理由として取消を求めることができない旨規定されている。従つて、被告大阪国税局長に対する原告の請求は主張自体理由がなく失当といわなければならない。

第二、被告奈良税務署長に対する原告の請求の当否について

一、請求原因第一項乃至第三項については当事者間に争いがない。

二、そこで、本件補償金がいかなる趣旨で出捐されたかを検討するに、当事者間に争いのない事実ならびに成立に争いのない甲第一号証、証人岩野政一、同北邨増治郎、同宮本忠男の各証言および弁論の全趣旨を総合すれば、奈良市は都市計画の一環として本件溜池を埋立て宅地造成をする計画をたて、公共用地を取得するために、本件賃借人である原告に対し、本件溜池の明渡を求める折衝を行い、昭和三八年一〇月一二日、原告との間で、原告において本件溜池での養魚を廃止し、本件溜池内に養魚のために施設してある建物および工作物を撤去することとし、被告において前記養魚の廃止について通称西木辻池について金八、〇〇〇、〇〇〇円、同三条池について金一二、〇〇〇、〇〇〇円、同芝辻池について金八、〇〇〇、〇〇〇円を支払う旨の契約が締結され、同年一〇月二五日一五、〇〇〇、〇〇〇円、同三九年六月一五日一三、〇〇〇、〇〇〇円合計二八、〇〇〇、〇〇〇円が奈良市から原告に対し支払れたことが認められるところ、現行憲法は国又は地方公共団体が私有財産を公共目的に使用する場合には正当な補償、換言すれば自由取引市場価格を基調にして合理的に算出された相当な額の対価を損失の補償として支払うことを要求しており、この趣旨は国又は地方公共団体が、任意買収をなす場合においても買収額決定の指導原理となるものであるから、右各証言によつて認められる契約締結に至るまでの諸事情からみれば、奈良市が出捐した本件補償金は、当然近傍類地に関する同種権利の取引価格、権利の存続期間等の契約内容、当該権利に係る養魚業の収益性および将来性、投下資本に関して生じる損害等の諸要素を検討して算出されたところの原告の財産権の損失を補償する対価であると解するのが相当である。

もつとも、前掲各証拠によれば、奈良市は原告の生活が養魚業に依存する度合が高いことに着目して、養魚業を廃業することに伴う生活不安等の主観的事情をも考慮して損失補償額の算定をなしたことが窺えるが、これは公共用地の取得に伴う損失補償交渉を円滑にするための方策とみられ、これによつて原告の本件溜池の用水を利用する権利を消滅させることに対する本件補償金の対価としての性格が左右されるものではない。結局本件補償金は原告の本件溜池において有する権利を消滅させることに対する対価として出捐されたものというべく、原告が主張する如き内容の生活補償金とは認めがたい。よつてこの点に関する原告の主張は失当であり、右所得は旧所得税法施行規則第七条の一一第三項(現行所得税施行令九五条)に謂う、契約等により譲渡所得の基因となるべき資産が消滅する場合においてその消滅につき一時に受ける補償金その他これに類する収入金額に該当し、譲渡所得の収入金額となると解せられる。

三、原告は本件補償金が権利を存続させることを前提に出捐されたものではなく権利を消滅させることに対し出捐されたものであるから所謂譲渡による所得ではない旨主張するが、譲渡所得が課税の対象とされるのは、資産の利益が当該資産そのものの値上りという形で発生し、それが所有者に帰属しているから、その資産の増加益を所得としてこれに課税するという基本的課税理論に論拠を有し、当該資産の市場価値の一年度内の増加額を毎年度査定し、これに対して課税することは技術的に困難であるから、ある年度間に資産の値上りによる増加益が生じた場合でもこれに対して課税することなく、当該資産が売買、交換、公売、収用等の方法で、当該資産の権利主体の支配を脱して他へ譲渡された際、従来の増加益が顕現し、又は顕現されたとみなして、これに対して課税することとしたと解せられる。従つて、譲渡の対象となつた当該資産が譲渡後においても従前の使用形態の儘存続するものであるか否かにより課税の対象としての資格を左右されるものではない。原告の主張は所得税法上の譲渡所得の趣旨を誤解する独自の見解であり、主張自体失当である。以上判示した如く、本件補償金は譲渡所得に該当し、原告が主張するところの非課税所得を根拠ずける各規定はなんらの対価の授受もないのに加えられた心身または資産の損失の補顛につき公共的見地から特にこれを課税の対象から外す趣旨に出たもので本件所得がこれに該当しないことは、右各規定の文理自体から明白である。

四、原告の奈良税務署長に対する請求は、本件補償金が課税所得となりうるか否かを争点とし、譲渡所得金額、事業所得金額および税額については明らかに争わないところであるから、被告奈良税務署長がなした本件課税処分は適法である。

第三、結論

原告の被告らに対する請求はいずれも理由がないので、原告の請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡村旦 裁判官 谷口伸夫 裁判官 大山隆司)

物件目録

一、奈良市西木辻町二〇〇番地の一

一、溜池 七八二四・三平方メートル(七反九畝一歩)外五筆

溜池提塘計 一二一四七・三平方メートル(一町二反二畝二一歩)

通称 西木辻池 共有地及び一部奈良市

一、奈良市三条町六〇四番地の一

一、溜池 一三五九九・三平方メートル(一町三反七畝一一歩)外一筆

溜池堤塘計 一四七一一・四平方メートル(一町四反八畝一八歩)

通称 三条池 共有地

一、奈良市芝辻町七七番地の一

一、溜池 七三八五・四平方メートル(七反四畝一八歩)

溜池堤塘計 一四三六一・六平方メートル(一町四反五畝二歩)

通称 芝辻池 共有地

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